日時 平成28年4月24日(日) 12:00〜15:30
場所 上今井諏訪社(長野県中野市上今井)
交通 JR飯山線・上今井駅より徒歩1分
上今井太々神楽 かみいまいだいだいかぐら 長野県下水内郡豊田村上今井、諏訪社で4月20日に行われる神楽。太々神楽の名称は方々にあるが、神楽をあげる代参詣から代神楽となり、美称の太神楽に当てられ、さらに太々となったものともいい、また神楽の規模を大・中・小にわけ、その大きいものを大神楽と称したことから大々の名称が生まれたものともいう。文久三年(一八六三)生まれの佐藤菊太郎が明治の中頃に太々講を組織して楽長に就任し、大正十五年には伶人会という神楽組を発足させて正しい伝承に務めた。彼は昭和八年に没したが、以後今日まで伶人会が継承している。伝承曲目は囃子だけで舞う採物舞の大和舞が十一曲、少女が歌入りで舞う吉備楽(きびがく)が五曲で、近年は「浦安の舞」も導入した。大和舞は「散米」「榊の舞」「御幣楽(みてくら)」「翁(おきな)の舞」(以上男の一人舞)「扁舞(へんべ)」(面かけ、剣の四人舞)などで、扁舞では鬼という字を爪先で書いて踏み込む型がある。翁の面には文政十年(一八二七)の年号がある。吉備楽は明治五年に岡山県で黒住教の教楽として生まれたが、戸隠神社の太々神楽に「吉備楽」があり、明治の初年に戸隠神楽の平野幸四郎に講習を受けているので関係があるかもしれない。歴史はそれほど古くないものの、成立経緯はだいぶ複雑そうです。
午後1時45分頃、やっと太々神楽の奉納が始まりました。最初は成人男性一人による大和舞「散米」。以下、曲名はめくりを元にしましたが違っているかもしれません…
はじめ右手に扇・左手に三方、途中で右手に鈴・左手に扇に持ち替えます。
次いで吉備楽「くらいの山 のどけき」。女児三人による舞。緋色の上に緑の衣を重ね、紫の袴、金の烏帽子をかぶります。右手には赤い扇を持ちます。
続いては大和舞「榊の舞」です。右手に扇、左手に御幣を付けた榊を持って舞います。
次は吉備楽「みそぎ」になります。女児二人、緑の衣と紫の袴は先ほどと同じですが頭には天冠を載せます。
右手に鈴、左手に御幣を付けた榊を持っています。
続いて吉備楽「春の夜」。男性の一人舞です。
さらに大和舞「扁舞(笏)」右手に扇、左手に笏。何か読み上げていたかも。
その後は「浦安の舞」です。吉備楽よりは年上の女の子らしい四人。紫の袴なのが珍しいかもしれません。
続いては吉備楽「田植舞」。子供巫女さん五人による舞です。緑の上衣に橙色の襷をかけます。
右手に扇を持って輪になって回り、膝をついたり左手や扇で天を指す型をしたりします。
次いで大和舞「扁舞(へんべ)」。男神の面をかけ、手には剣を持ち足には草鞋を履きます。上記『民俗芸能辞典』の記述では四人舞とありますが二人舞でした。
「鬼」という字を爪先で書くらしいのですがよく分かりませんでした…
次は「鈴神楽」。女の子二人で右手に扇、左手に鈴。大和舞と思われます。
舞い終えたところで後ろを振り向くと、拝殿の前に御柱が立てられるところでした。時間は午後3時前。
拝殿では続いて吉備楽「夏の夜」が。出で立ちは「春の夜」と同じです。
次は大和舞「翁舞」。烏帽子に翁の面をかけ、右手に御幣、左手は扇から鈴に持ち替え。
拝殿前にはもう一本の御柱も立てられます。
最後の神楽の演目は、吉備楽「鯛釣りの舞」です。桃色や橙色の襷をかけ、右手に扇、左手に釣り竿を持ち、頭の横におかめや恵比寿の面、腰に魚籠をつけた女の子二人が登場します。
四隅で釣りの真似をしたり竿を置いて舞台を巡ったりしたあと、別の女の子二人が持った魚の作り物を釣り上げます。
舞い終わったあとにはお菓子を撒いたりしてました。
午後3時15分頃に神楽が終わると特に挨拶などはなく、子供巫女さんたちは三々五々帰っていきました。
視野が賽銭箱と鈴緒と柱に阻まれ、しかも拝殿内が暗い上に動きが早くて撮影の難度は高かったです。
それでもこれまで見たことのない貴重な神楽が見られていい経験になりました。
御柱の年ではない、通常のお祭りはどうなるのかも気になるところです。
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